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大津地方裁判所 昭和36年(ヨ)43号 判決

申請人 株式会社伏見晒工場

被申請人 高島晒協同組合

主文

本件仮処分申請はこれを却下する。

訴訟費用は申請人の負担とする。

事実

申請人訴訟代理人は「被申請人はその製品につき別紙目録第一〈省略〉に記載する様な方法でクレープ生地の浴浸加工法を行つてはならない」との判決を求め、その理由として次のように述べた。

一、申請人は、昭和三四年九月一八日、特許庁に対し、別紙目録第二〈省略〉記載のようなクレープ生地の浴浸加工法の発明について特許出願し、昭和三六年三月二日付をもつて出願公告となつた。

二、ところが被申請人は、昭和三四年一一月から、右特許出願の権利範囲に属する別紙目録第一記載の方法でクレープ生地のシルケツト加工をしている。

三、しかしながら、被申請人は、右の方法でクレープ生地のシルケツト加工をするについて、申請人に対抗できる何等正当な権限を有しないものであつて、被申請人の右の行為は、申請人の本件特許出願に係る権利を侵害し、被申請人が右の方法でクレープ生地のシルケツト加工をなし、その製品を販売しなければ、申請人のその販売高はそれだけ増加するものであり、被申請人がこれを製作販売することにより、申請人はその販売高の増加により得べかりし利益を喪失することになり、しかも被申請人は品質劣悪のものを業界に流しているので申請人の信用も著しくそこなわれる結果となり、延いては一般購買者にも不測の損害を与えているため被申請人の本件特許出願に係る権利侵害行為を放置していたのでは到底回復することのできない著しい損害を蒙ること明らかである。よつて申請人は、被申請人に対し、この著しい損害を避けるため、申請の趣旨記載のような仮処分を求める。本件仮処分命令の申請は係争物に関する仮処分命令の申請ではなく、仮の地位を定める仮処分命令の申請であり、被保全権利は特許法第一〇〇条のいわゆる差止請求権である。そして出願公告中のいわゆる仮保護の権利とは出願公告によつて公告された出願の内容が、登録までの間に他人によつて盗用又は模放される危険に対し、出願者の利益を保護するためのものである。即ちそれは出願公告の時から一応本来の権利とほゞ同じ効力を与えるが、権利が発生しなかつた場合は始に遡つて消滅するといういわば解除条件的なものであり、特許法第五二条第一項は「特許出願人は、出願公告があつたときは、業としてその特許出願に係る発明の実施をする権利を専有する」と規定し、同条第二項は「前項の権利に基く不当利得の返還又は損害の賠償の請求権は、当該特許権の設定の登録があつた後でなければ、行うことができない」と規定している反面解釈として侵害行為差止請求権はいわゆる仮保護期間中においてもおこなうことができるものである。

なお被申請人の主張事実はすべて否認する。

被申請人訴訟代理人は主文第一項と同旨の判決を求め、申請人の主張に対し次のとおり陳述した。

一、申請の理由一の事実及び同二の事実のうち被申請人が申請人主張のような方法でクレープ生地のシルケツト加工をしていることは認めるが、その余の事実はすべて否認する。

二、被申請人の前身である滋賀県高島郡高島織物工業協同組合晒加工部では昭和三〇年七月四日より五日間にわたり綿クレープ防縮加工等について研究発表会を開催し、同発表会には聴講生約五〇名が参集し、滋賀県繊維工業指導所より三技師が指導者として出席し、その席上クレープ生地のシルケツト加工に利用されるマングルのゴムロールの硬度は五〇度乃至六〇度が最適であると公然と発表され、右組合晒加工部は、同年一〇月頃、右研究発表にもとずき、クレープ生地を平布同様送り方向に緊張しつつ苛性ソーダの処理浴内を通過させ、硬度五〇度乃至六〇度のゴムロールよりなるマングルにて絞る装置を設けて種々改良を加え、昭和三四年九月迄に相当量のクレープ生地のシルケツト加工をなしてきたのである。而して被申請人は昭和三三年一二月一一日右協同組合晒加工部が独立して設立されたものであり右晒加工部より右装置及び製法一切の譲渡をうけたものである。

更に被申請人は昭和三四年八月、現在使用しているクレープ生地のシルケツト加工装置を業者に注文し、同年一一月より右装置を使用している。

(一)  仮に被申請人の加工法が申請人の特許出願公告の内容に包含されるとしても、右研究発表会に於て申請人の特許出願公告に係る発明内容は公然と発表されていたのであるから、申請人の特許出願公告に係る発明内容は、その出願前既に公知に属する事実であり何等新規の発明とはいえない。

(二)  仮に公知に属する事実でないとしても被申請人は前記の通り申請人の特許出願前、自己の工場において前記装置を使用してきたのである。而して本件特許出願当時被申請人は申請人の本件発明の事実及び特許出願の事実を知らなかつた。すなわち、被申請人は申請人の特許出願に係る発明の内容を知らないで本件特許出願当時、現に日本国内において、本件特許出願内容と同一発明について、その実施の事業をしていたものであるから、旧特許法第三七条、特許法施行法第七条特許法第七九条によりいわゆる先使用による通常実施権を有するものである。

(三)  また申請人は本件仮処分によつて保全さるべき権利を有しない。すなわち、出願公告があつたのちに特許を受けることができなかつたときは出願公告中に有していた仮保護の効力は初めから生じなかつたものと看做されるのであり、かゝる仮保護の権利を有するにとゞまるものは第三者に対し差止請求権を有しない。

よつて被申請人は何等申請人の権利を侵害しているものではないし、また本件仮処分は被保全権利が存しないから申請人の本件仮処分申請は失当で却下さるべきものである。〈疎明省略〉

理由

一、申請人が昭和三四年九月一八日特許庁に対し別紙目録第二記載のようなクレープ生地の浴侵加工法の発明について特許出願し、昭和三六年三月二日付をもつて出願公告があつたことは当事者間に争いがない。

二、よつて本件仮処分によつて保全さるべき権利の有無について判断する。特許法による出願公告は、出願の内容を公開し、これに対する一般の異議申立を許すことによつて審査の正確を期するものである。しかし公開された出願の内容が登録までの間に他人に盗用又は模倣される危険に対し出願者の利益を保護する必要がある。すなわち出願公告の時から一応本来の特許権とほゞ同じ効力を与えるが、それは特許出願について拒絶すべき旨の査定若しくは審決が確定したときなど、権利が発生しなかつた場合は始に遡つて消滅するといういわば解除条件的なものである。これが出願公告中におけるいわゆる仮保護の権利といわれるものである。そして申請人出張の如く、仮保護の権利として認められた以上かかる権利を侵害する者に対し侵害の差止請求権を容認しなければ仮保護の権利を有するものの権利の実効を期し難いという見解もありうるが、敢て仮保護の状態にある権利を侵害した者は当該特許権の設定の登録があつたときは相当重い処罰を受けることとなる(特許法第一九六条第二項)ほか右登録があつたときは仮保護の期間中の侵害行為に対する損害賠償ないし不当利得返還の請求権を有する点において刑事上民事上間接にその保護がなされているし、当裁判所は以下述べる理由により申請人主張の右見解は採用できないのである。すなわち「仮保護」の権利なるものはさきに述べたように後日出願を拒絶される場合もあり得る不安定な権利であるから、その保護が厚きに過ぎればかえつて法律関係をいたずらに混乱せしめるのみでなく無用の犠牲を生ずるおそれがある。ところで特許法第五二条第二項によれば、損害賠償請求権や不当利得返還請求権については特許権の設定登録があつた後でなければ行使することができないこととし同法第一〇〇条によれば登録された特許権者に現在及び将来における侵害の停止又は予防を請求しうる権利を認め、いわゆる仮保護の権利を有する間における差止請求権の有無についてはなんら規定するところがないのであるが、以上のように損害賠償請求権ないし不当利得返還請求権は特許権の設定の登録がなされた後でなければ行使できないこと及び仮保護の権利なるものは後日出願を拒絶されその根拠が失なわれるかも知れない不安定な権利であり、これが保護は他方に生ずべき損失との比較較量において慎重でなければならない点などを考え合わせるといわゆる仮保護の権利を有するにとゞまる者は第三者に対し未だ差止請求権を有しないものと解せざるを得ない。

三、そうすると本件仮処分命令の申請には、被保全権利の存在を認めることができないのでその余の事実について判断するまでもなく、申請人の本件仮処分申請は失当であるからこれを却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 畑健次 首藤武兵 広川浩二)

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